Jリーグ30周年とダービー

国立競技場で『Jリーグ30周年記念スペシャルマッチ』として、30年前の開幕カードである鹿島と名古屋が対戦した。30年前のあの試合を見て思ったのは、ジーコのハットよりも「アルシンドか、凄いの来たな」だった。

あの頃はブラジルやアルゼンチンから名手が来ていたが、概ね「キャリアの全盛期は過ぎた」と言える選手ばかりだったと思う。それでも凄かったけどね、エドゥーにしてもディアスにしても。その中でアルシンドは25歳。まさにこれから全盛期に向かっていくブラジル人選手が、ジーコの誘いを受けて鹿島へ。動けるし上手いし得点感覚も国際レベル、ということで鹿島での2年間で50ゴール。いや本当に良い選手だった。

Wikiで見ると、結局彼は次のヴェルディでの1年を足した3年間がキャリアの絶頂期だったようで、当時のJリーグの評価はともかく、あの時の彼なら欧州も十分ありえたんじゃないか。

そんなアルシンドがいる鹿島が、30年前の福岡でJリーグの公式戦を開催していたことを最近まで知らなかった。それを知ったのは、大久保嘉人が出ていたNHKの30周年記念番組でのこと。大久保がプロになろうと思ったきっかけが、その福岡(博多の森陸上競技場)での鹿島対横浜マリノスというカードにまつわるものだったという。前座として組まれたアンダーカテゴリの試合に「北九州選抜(?)」の一員としてプレーし、大久保曰く「鹿島サポから名前をコールされた」そうだ。それが嬉しくてプロを目指すようになったとか。

出演時の彼の発言が曖昧過ぎて、博多の森は「近所」になっていた笑。結局自力で調べて、Jリーグ元年の第7節に博多の森陸上競技場でそのカードが開催され、鹿島がサントスとアルシンドのゴールで勝利したと知ることになった。

そしてその93年のJFL。そこでは1部に中央防犯、2部にPJMが所属しており、どちらも静岡のチームだった。それが30年を経て、いろいろありつつも今こうして、アビスパ福岡サガン鳥栖として、この国のトップリーグでしのぎを削るようになった。これはこれで幸せなシナリオと言えるのではないだろうか。

さあ、そのダービーについて。これがまあ負傷者や退場者が出たということもあり、なんとも地味な内容になったのは残念だ。しかし「絶対に負けられない」というマインドは90分間常に両陣から感じられて、これはこれで面白いのである。

紺野のアレはPKだ、とは思う。しかしまあ見逃されたのだからそれなりの理由はあるのだろう。紺野が目立った試合ではあったが、残念ながら結果は出ていないし、より良い判断もあったのではと思える局面があった。しかし、そうしたこともつみ重ねながら、チームは成長していくものだろう。あと、佐藤のプレーでかなり良くなったことは触れておく。ラスト決めていたら、とは思うが、そこにいたことはやはり評価したい。

次からも面白いカードが続く。整えて臨んでもらいたい。期待している。

ちなみに93年には計4試合が博多の森陸上競技場で開催されていたようだ。カズもゴールを決めているし、11月末には横浜マリノスジェフユナイテッド市原に2-0で勝利。得点者は小泉淳嗣と山田隆裕。小泉のことは知らないなあと思ってたら、あの開幕戦でマイヤーに振り切られる側の選手だった。そして、カズのゴールとマリノスの勝利の間には「ドーハの悲劇」が。日本サッカー界にとって激動の一年だったのだなあ。

そして翌年の94年、長谷部茂利という選手がヴェルディ川崎でJリーグデビューするということも最後に触れておこう。