蜷川×オセロー

彩の国シェイクスピア・シリーズ 『オセロー』
11/3 北九州芸術劇場の夜の部を観劇。蜷川シェイクスピアは初めてだったが、正味4時間の上演も苦にならない出来映えだったと思います。
  
原作の翻訳を読んだのは成人になって間もない頃だったので、かれこれ10年以上が経っていますね。「愛を知らずして愛してしまった」というオセローの心の叫びが印象的だったのを今でも憶えている‥。
悲劇もともすれば滑稽に見えるもので、実際の演技を観るとあの悲しすぎる主人公がときに可笑しくて、そして可愛らしくもあるのだ。こういうのはリアルならではなんですね。生身の息づかいが感じられる舞台ならではでしょう。舞台を年に2〜3回しか観ない僕が、発作的にチケットを購入した勘は外れなかったわけだ。
  
チケット購入に際してあまりに魅力的だった蒼井優のキャスティングも成功だったと思うし、彼女の可憐で清楚な佇まいがデズデモーナにぴったりで、そういうデズデモーナだったからこそのラストのカタルシスだったのでしょう。まあ、周りの経験豊富な俳優に囲まれては「まだまだ」なのは仕方のないこととは思いますよ。ただ、あれは彼女にしかできないのは間違いないと思います。
  
ストーリー上、途中からオセロー(吉田鋼太郎)の科白が軽くなっていくわけで、何を喋っても「愛を知らずして愛してしまった」男の浅薄さが感じられて仕方が無い。そしてそれが悲しい。観ている間は高橋洋演じるイアゴーが常に主導権を握っているものだから、その演技力と相まって強烈な存在感に釘付けとなっていました。でも実際にはあれほどまでの悪意の根拠が僕なんかには納得できずにいたわけで、そうなるとただただ「異邦人」オセローが、とにかく‥悲しい。
とはいえ、あまりに愚かしいオセローが自らの愚行を「名誉ゆえ」と言いのけてしまうのはいただけないし、最期にデズデモーナと重なり触れ合いながらこと切れていくのは自分に甘いのではないかとも感じた。罪の意識が薄いのではないかと。
  
途中で退席する人もチラホラいましたが、それも自由でしょうね。あのラストに到るまでの起伏を味わえなかったのは、その人にとっては勿体なかったといえるのですが、個人的には前の席の人がいなくなって視界良好に。ラッキーでした。前から好きだった馬渕英俚可が物語の中で「ど真ん中」にいるエミリアを好演していたのもマル、でした。