ちっとも盛り上がってこないトリノ五輪。そして繰り返される難解な採点基準。
かつて、技術ならダントツのトップだったフィギュアスケーターが日本にいた。伊藤みどりだ。しかし、その当時、国際舞台で君臨していたのは東ドイツのカタリナ・ビット。テクニカルな部分もさることながら、その表現力は他を圧倒していた。
日本のフィギュアのファンは、そうした時代を経験してきているから、フィギュアとはあくまで表現力重視の「美」を競う競技であると認知しているだろう。たとえ技術の極地が美を超えることがあるとしても。(伊藤のジャンプは今でも史上最高のレベルにあると思っている)
それが、先のソルトレイクシティでの疑惑を発端とし、採点基準の見直しがなされた。ここからは、はっきりいってよく分からなくなった。とにかく印象としてあるのは、「体操や新体操をつまらなくしている不可解なモノがフィギュアにも及んでしまった」ということ。
荒川は、本来の希望である「表現者」としてのプロスケーター転向を先に延ばし、「競技者」としてトリノ五輪を目指す決意をして、今季を迎えた。「誰もが納得するところまで、自分のスケートを高めないといけない」。自分の決断に言い訳のできない苦しさが、怒りと思い直しの交錯する言葉に表れた。
http://www.sponichi.co.jp/sports/column/coolsports/KFullNormal20051128107.html
確かに勝負の世界ではままあることで、どれだけ良いプレー、印象に残るスーパーなプレーがあっても、試合の勝敗では不運にも敗退してしまう、というような。
それでも、荒川の表現力は間違いなく世界のトップにある(無論それを支えている技術も)。しかし、それが凡そ機械的で曲芸まがいの点稼ぎに打倒されてしまうとしたら、これまでのこの競技が積み重ねてきたものはなんだったのだろう‥。浅田は素晴らしいが、表現者としてはその入口にいる状態だし、安藤は恩田を可愛くした印象。村主は好きな選手だけど国際舞台でアピールできるスーパーなものが足りない。
「結果が全て」とは言うが、荒川の出ない五輪は考えたくないね。