老成?

昨晩の五輪二次予選、対香港戦を見ての印象としては「熱が低いな」ということと「クオリティが足りない」ということだろうか。
後者は問題点というより永遠の課題なので、あまり求めすぎてはいけないでしょう。それよりも前者の方が気になる。あの年代であれば無邪気な喜びの表現なんかがあってもよさそうなものだけど、ゴールの後でも「やれやれ、決まったか」と言わんばかりの義務感めいたものが画面を通じて伝わってくるように感じたんだけど、勘違いでしょうか。
あの年代を代表しているという誇りや喜びを誰からも感じない(李は別だけど)のが、クラブ至上主義が根付いてきた現れだとしたら、それはそれでいいのだけど。ただ、そういう高揚感の欠如が格下を相手にした状況からくるものなのか、それとも内在するまとまりの無さに由来するものなのか‥
「俺たちはもっと出来るんだぜ」的なコメントが試合後に虚しく響く。個人プレーが香港相手にも通用しなかったことを思い知るべきだ。
  
さて、内容としては実に妥当なもので、スコアとしてもあんなもんだと思う。だから以下のように武藤さんが指摘するチームの問題点がイマイチ腑に落ちない。


 しかし、香港の守備ラインが機能し始めると、日本は全く好機を作れなくなる。その要因については、合衆国戦で述べた通り。合衆国戦同様、3トップが水野と本田の蓋をして、さらに青山敏と伊野波は引いてきてパスを受けに来る味方がいないので、遠方のチームメートに向けて、(必ずしも得意でない)ロングパスを狙っては敵にボールを渡す。酷い前半だった。これまた合衆国戦同様だが、出来が酷くても最終ラインが非常に強いので、ほとんど敵に決定機を与えないのも、このチームの問題点を顕在化しないのだが。
なぜ腑に落ちないかというと、こういうレベルの試合ではよくあることをあまりに細かく拾い上げてしまっているからですね。監督の意向うんぬんよりも、もっと相対的に、守備的で個のレベルに劣る相手に対してそうなってしまうことがままある、という前提の上に論じるべきじゃないのかなあ。
このメンバーの将来を考えると、3FWをこそ活かすべきだとも思えるし(FWが点を取るチームこそが強いチームなんだ)。中盤がもてはやされがちなこの国のあり方をここらで変えて欲しい。
なにしろ水野や本田圭が「もっと活かされるべき」タレントだと思ってないんだよね。この二人のどちらかが谷口でいいんじゃないの? それともこの二人がもう一皮むけるための試練なのかな?
  
まあとにかく、このチームに「芸術家が多い」という武藤さんの言われようには、「誰のこと?」と首を傾げるしかない。“偏見に満ちた”と冠しているだけのことはあります。