アジアフォーカス

今、福岡ではアジアフォーカス映画祭が開催中。
http://www.focus-on-asia.com/top/index.shtml
  
今年は中東の作品を特集した企画もあり、イランからは4作品もの出品となった。
とりあえず、中東に限らず3作品を鑑賞したけど、どれも味わい深い作品ばかりだ。
「こんなに近く、こんなに遠く」
「夢と現実の日々」
「マナサロワールの愛」
それぞれ、イラン、シリア、インドの作品で、当然それぞれの風土や気質が反映されているが、やはりこのような映画祭に出品される作品の傾向としては、しっかりとしたテーマと問題提起が色濃く表出しているものがほとんど。そして何年もこの映画祭を見続けているが、そのほとんどのテーマ(もしくはその背景)としてあるのは、「伝統」と「近現代」の対立という、どんな国にも共通した概念だろう‥‥。
それは色んな形で演出されることになる。地方と都市、老人と若者、保守と革新。当たり前のことだが、優れた作品ではそこに深い考察があり、その対立に善悪の決着は敢えてつけない。何しろ、国々によって問題は様々で、民族、貧富、信仰の違いがもらたす誤解や偏見は長い歴史よって積み重ねられ、豊かになるための文明(近代化、欧米化、欧米そのもの)は問題をより複雑にしているのだ。
さて、僕が観たこの3作品もその系譜に沿ったものなのだが、不思議なことに、どれもラストが印象的で、ちょっとした類似点があるように思われた(言及はしないが)。
「マナサロワール‥」などは「純愛物」ということだったが、けして脳天気なものではなく、誰も踊りださない。細かいことは避けるが、このインドの純愛物で印象的なのは、「マナサロワール」が何であるかということだ。躍進を遂げたインドのIT産業がひしめく都市の会社重役は「マナサロワール」をして「ヒマラヤのただの湖」だといい、山奥の高僧は「人の通わない、魂の住処」だという。どちらかが本当なのか、そうではないのか。それははっきりしないが、恋愛物という形式をとりながらも終盤に一気に現代人の精神性を問うてくるあたり、おそらくは作家の主張がここに込められているのではないかと感じた。
「こんなに近く‥」でのDV=走馬灯というアイデアも素晴らしかったし、あのラストも賛否分かれるところだとは思うが、何しろあの砂嵐の中での描写は圧倒的だ。
「夢と現実‥」は、かの地の状況の深刻さがうかがえ、主演女優がパレスチナ人だったというのも印象に残る。
もっとも完成度が高いと感じたのは「こんなに近く‥」だったが、そのはずで、他の2つは新人監督の作品だった。
こうした作品を見るにつけ、あのイランの名匠であるマジディ監督の暖かい視点で貫かれた作品を観たくなったが、残念ながら今年出品されている最新作「柳の木のように」はスケジュールがあいそうにない。全く残念だ。
映画祭での醍醐味は実際に制作者や出演者を目の前にして、話が聞けることだが、去年の「ルオマは17歳」のティーチインのときのような体験は、今年はない。プロの俳優ではない彼女が今どうなっているのか、少し気になった。