論功行賞ではダメ

少し前になるが遠藤はこう言ったという。「予選を戦ってなくて、本大会だけ入るのはどうかとも思う」
本選出場の栄誉は予選での功績に応じて与えられるべきで、それ以外の選手に与えられるのは受け入れ難いということだろう。あまりに素直すぎるコメントがメンバー発表前に漏れ聞こえてきた際はちょっと驚いたものだ。というのもそれを聞かされて「オレのことかよ」と思う選手がその時点で何人かいたはずだからだ。素直だが不用意にすぎる、それが一般的な印象だろう。また、先日の韓国戦の後で俊輔は「積み上げてきたものが消えてきている」とこれまた婉曲的に昨年までのチームに戻して欲しいと言っている。これら年長組の発言は要するに「これ以上のものは日本代表に必要ではなく、とにもかくにもチームワークと積み重ねてきた“あうんの呼吸”こそが重要」だということなのだろう。ただし、彼らの言う「日本代表」はオーストラリアや韓国以下だが。
ヤットにしても俊輔にしても普段のコメントなどはそれなりに論理的な内容を述べたりするんだけど、こと「本選出場」関連のことになると情緒的な発言が目立ってきている。つまりナーバスになっているのだろう。本来なら彼らが組織を落ち着かせる立場にあるのだが、どうやら自分のことで頭がいっぱいなのかもしれない。もとよりこのチームにリーダーシップが不在なのははっきりしているのだ。
思えば4年前においてもジーコアジアカップの論功行賞をドイツにまで持ち込んだふしがある。その結果、明らかにコンディションに問題を抱えた選手がスタメン扱いになるなど、良いチームを送り出せなかった。まあ、ジーコにロジカルな思考は望むべくもなかったが。あのアジアカップは不幸な優勝だったと当時から思っていた。
またトルシエの時でもジーコの時でも、代表には期待が持てるパフォーマンスのピークがあった。トルシエなら02年のポーランド戦、ジーコなら04年のイングランド戦というように。もちろん1試合だけということではなく、その時期がそうだったと個人的には感じていた。それに限りなく近づけたのがトルシエであり、遠く及ばなかったのがジーコ。そして、今回の代表にはそのピークらしいものがまったく無い。これが出来れば、と期待させるモデルが無いのだ。
それなのに、である。前述の2人のコメントは何故なんだと思う。ただの保身ととられても仕方ないだろう。
そうは言っても事ここに至っては、この2人が心身ともに絶好調になってもらわないと話にならないのが今の代表。その上で、できうるならば本田か森本が点を取れるようなチームになってほしい。