錦織という幸運

このブログで錦織を検索すると自分でも驚くほど昔から取り上げていたことに気づく。あらためて読み返してみて思うのは彼という存在の希有さとありがたみである。日本人初とかいう文句が薄ら寒く感じられるのは、彼のプレーそのものが以前からまったくのワールドクラスであり、なおかつその絶対値は紛れもなくトップレベルであるからだ。ナダルフェレールは彼が10代の頃から「錦織はいずれTOP5に入る」と言っていたし、錦織が弱冠18歳で初めてタイトルを獲得したデルレイビーチ大会において決勝で敗れたブレイクは「彼には素晴らしい未来がある。努力が必要だが」と語り、新しい才能にエールを送っていた。昨年の全米オープンで引退したブレイクが決勝にゲストで呼ばれていたりしたらなんて素敵なことだろう‥‥!

さて今回の錦織の活躍。以前のエントリを読み返してみて気づいたこともあるので、それも織り交ぜてバブリンカ戦とジョコビッチ戦を振り返る。

まずバブリンカ戦。これがまた名勝負だった。序盤から錦織に対して積極的に攻めるバブリンカ。ある意味リスペクトの表出だろうと思う。格上であるバブリンカが受けて立つのではなく、早めに仕掛けて試合を動かしていた。プランとすればそれで圧倒するはずがほぼ互角の展開。これが誤算だったはずで自らのピークを緒戦で晒した全豪王者を徐々に攻略する錦織。一進一退ながらも第3セットをよく取った錦織がほぼ完全に主導権を握る。惜しむらくはファイナルまでもつれたことで、これはさすがの第3シード。最後は「急にマッチポイントが来た」という懐かしのQBK的な試合後のコメントがあったほどにギリギリの戦いを確実に締めた。ポイントの一つひとつの積み上げで勝利に至った好例だろう。正直言って戦前はコンディションを心配していたが、このパフォーマンスを目の当たりにして彼のフィジカルがレベルアップしていることを確信。そしていよいよ日本のスポーツ史が変わる。

その歴史的なジョコビッチ戦。持久戦を避ける錦織とその逆のジョコビッチ。これは陣営のオーダーが一義としてあるだろうなと思いながら観ていた。勝つためのギャンブルでもあるが、それをカタチにする錦織の力量は素晴らしかった。結果としてそのオーダーによって解放された攻撃力が遺憾無く発揮されていた。そしてこれはもしかしたらかつてフェデラージョコビッチに対して行っていた戦術を取り入れていたのかもしれないなと気がついた。2011年の全仏における対戦ではフェデラーが球足の遅いはずのクレーで攻めまくっていたことを思いだす。その結果フェデラーは勝利する(セットカウントは3-1)。2011年のジョコビッチは圧倒的な強さを誇っていて、同年に彼が負けたのは2回のみ。それはこのときの対フェデラーとスイス・バーゼル大会における対錦織であった。ちなみにジョコビッチを下して決勝に進んだ錦織をボコボコにしたのがフェデラーで、その時のフェデラーはやはり序盤から攻めまくっていたが、それは若き才能に「こんなやり方もあるぞ」と薫陶したように見えた。試合後には現役のレジェンドから「彼のことはずっと前から知っている。ここまで来てくれて嬉しい」とエールを送られていた。

No.1プレイヤーを相手にしたストロークの打ち合いで全くひけをとらない錦織。攻撃的に1stセットを取ったおかげで戦略は広がっている。2ndを取られるものの主導権は渡していない。バブリンカ戦がそうであったように、次の3rdセットが重要だと狙い定めていただろう。
それにしてもジョコビッチには試合中から錦織の成長を喜んでいるフシも見受けられる印象だった。そしてそれは彼の普段からの言動からもあながち見当違いではなさそうだが‥。そのジョコビッチは序盤から受けの姿勢ではあるもののペースアップするギアはまだまだ残しているはず。その現王者に対して錦織はチャレンジャーに相応しいリスクをかける。当たり前のことだが、王者にらしさを発揮させると勝ち目は薄くなるのだ。主導権を渡さずにほどよく攻めながら無理はしない。それが今の錦織には出来ている。それでもタイブレークに至るものの大事なところでジョコビッチがダブる。珍しいことだ。だが逆に錦織もダブる…。この競技が極めてメンタルを問われるものであることをわかっていないとこういうシーンは理解できないだろう。しかし今大会の錦織はセットをとりきってしまう。元々彼はタイブレークやフルセットでの勝率が高い選手だが、それでも初めてのGSセミファイナルで第1シード相手に力を発揮できるものなのかと舌を巻く…。
錦織はこの後バスルームブレークをとり、その間泰然と待っていたジョコビッチが早々とポジションにつく。駆け引きの一つだ。フィジカルで問題があるとされてきた錦織だが隙を見せない。プランを誤ったジョコビッチが揺らぐ…、そして歓喜の瞬間。

正直なところ「信じられない」という思いがまずあった。いや錦織の才能は確信があったがそれでもいざ歴史が変わる瞬間はまさに「夢のよう」だった。時間の問題だと思っていた頂点へのチャンスが本当に来てしまったことへの感動やら驚きやら…それはまさに「言葉にならない」最高の瞬間。だがすぐに思い直す。次こそが、次のファイナルこそが最高の最高であると。まずはありがとう。
初のGSファイナルなのに相手が同格以下の選手であることで逆に難しくなるかもしれない。しかしタイトルにチャレンジする気持ちが失われなければ大丈夫。祈りを込めて。