We can play we want

ヒデが先日言った言葉。
このチームはトルシエ時代に積み上げたものをベースにして、そこに「自由」というソースをかけてザッとかき混ぜる、というようなレシピに沿って調理されている。おそろしくシンプル(単純)で、家庭的な味だ。
シンプルな料理って難しい。ごまかしがきかないから。そうしたレシピでは必ずムラが出来るので、まともな料理人は細かくレシピを決めて、ちゃんとお金のとれるものにするから、味も洗練されてお店で出せるワケ。
いみじくもこのチームあり方をファミリーとみる向きがあるが、いつまでも家内制手工業でもないだろう。とっくの昔に起きてなければならない革命が、この国の代表にはまだない。与えられる戦術以前に、共通理解としてのオートマチズムが感じられないのは、普段のリーグでのプレーに端を発しているのだろう。当然そこであがっていくはずのウィングが躊躇していたり、難しいパスコースを選択したり‥‥。この競技に常に求められる局面での判断が良くない、遅い。それもこれも目指すべきものが、今この国には見えていないからじゃないのかと感じる。示すべき代表が行ったり来たりを繰り返しているのだから。
  
それに響き合うような感じがまったくしないのはどうだろう。西澤とモリシ、シンジとタカのような関係がどこにもない。どこが「ファミリー」なんだ。そもそも、今のフォーメーションを採用するなら、それに合った編成をするべきで、シャドーストライカーとしてはいかにもあの2人では弱い。もっと相手にとって嫌ーなプレーを得意とするタイプがいるでしょうが。俊哉を呼び戻せ。
もし今のチーム内であれば、大黒トップで柳沢とヒデをシャドーにして、守備のできない三都主を外して左からアツ、イナ、福西、加持(他にいないもん)、っていうのが僕の好み。
  
さて、最初のヒデの言葉に戻ると、今の日本では"We can't play we want"、です。そんなレベルにない。何が"we want"なのかによるのだろうけど、ちっともやりたいようにやれないんだから、せめてチャレンジして欲しいよ。気が抜けてる場合じゃない。これだから競争原理の働かない「ファミリー」というのは。