ちょうど6年前

6年前の今日、中田英がイタリアセリエAペルージャに移籍した。W杯ではグループリーグで全敗し、「格下」と言われたジャマイカにも1点返すのがやっとだった。その敗戦の中でも存在感を示し、晴れてイタリアへと渡ったわけだ。始めの1、2シーズン目までは輝いていたが、その後はチームの意向と自らの希望がかみ合っていない、そんな印象を与えるシーズンが続いて、とうとう5チーム目の移籍となった。やはり希望するポジションを求めてのことのようだが、彼が希望するポジションにはプレーの質と同時に精神的なものも求められる。その強固な肉体には相応の精神力が宿っているとは思うが、僕にはチームをひっぱっているナカタ、まとめているナカタ、というのを見たことがない。そういう位置に置かれていてもなお。
代表チームを自ら評し、「いない方がいいのかもしれない」と言ってのけるキャプテンとは一体。
それにしても、日本のフットボールというのは若干の変化が出てきたようだ。トルシエが再三に渡り嘆いてきた「守備意識の低さ」が改善されてきたように思える。重慶でのオマーン戦しかり、ソウルでの韓国戦しかり。6年前のW杯の頃は、守ろうとしても守りきれなかった。守るということと攻めるということは、プレーが切れないこの競技においては表裏一体のものだと思う。守るために守り、守るために攻め込む、攻めるために攻め、攻めるために守る。それが状況において随時求められ、チームは共通の意識として選択しなければならない。
ときに経験のあるプレイヤはチーム戦術から逸脱し、自由に振る舞うことがあるが、それが有効な場合もあれば、逆の場合もある。五輪チームに必要なのは戦術を超えたイマジネーションであり、ナカタに必要なのはまずチームにとけ込むことだろう。
ジーコがナカタを中心として据え続ける以上、彼にかつての輝きを取り戻してもらうことが待たれる。でも、減俸の上でチームに貢献したディリービオの代わりにジャパンマネーの権化という図式はあまりにも‥‥
「中田 早くも“王様”」
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20040722-00000008-spnavi_ot-spo.html